第2週

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05月01日(日) - 2日目

雨一時曇り。

夕食までゆっくり自宅で過ごす。

20時過ぎごろ病室に戻り、片付けなどをして、ゆっくりする。喉用の抗生物質など投薬が出たので飲む。いよいよ明日は手術だ。

「行儀よくしろ。」(清水義範)

05月02日(月) - 3日目

晴れ?

手術の日。夜中暑くてあまり寝付けなかったが、朝方になったらやや冷えてきた。6時に目覚め、8時の朝食までにたまっていた新聞を読みきる。

朝食 ご飯、おつゆ、ふりかけ、煮豆、牛乳

9時ごろ、妻が来る。直後に聴力検査。その後処置。聴力は右27dB、左40dB。病室に戻った後、11時ごろから入浴。担当の麻酔医が挨拶と説明に来る。

12時を回って、郷里の両親がやってくる。3人もいると病室はやや狭い。13時半ごろになったらいよいよ準備になった。まず、術衣に着替え、トイレを済ます。指輪もはずした。次に血管確保の点滴を右腕にし、右肩に麻酔がよく効くように筋肉注射をした。これは例のちょっと痛い、という注射だ。多少は痛い。

2番手14時半からの手術のはずだったが、順番が前後して1番、14時からの手術となった。廊下のストレッチャに移動し、妻と両親に見送られて手術室へ入った。

5番手術室。薄いグリーンのタイルで統一。こぎれいな感じの部屋だ。手術室の看護師の方が、事細かに説明しながら作業を進めていってくれる。動かします、とか縛りますとか説明してくれるのでとても丁寧な感じを受ける。心肺モニタを接続すると自分の鼓動が電子音で響くので緊張はいや増す。麻酔医が挨拶と説明。1番に変更になった関係か、浅野先生ではなかった。軽くマスクのテストをした後、早速麻酔の薬品注入。薬品の名前は忘れてしまった。4年前とは麻酔薬が代わり、すごい即効タイプだったのか、来た。薬くさいな、と思った次の瞬間にはもう意識が事切れていた。前回の手術のときのように苦いような味はしなかった。

次の瞬間、病室にいるようだった。顔を動かしてみるが、麻痺もないようだ。よかった。これならすぐ仕事ができる。久保先生が妻と両親に、手術の結果を報告している。しゃべっていることは、聞き取れればかなりよく理解できる。病巣はやはり真珠腫で、取れたらしい。耳小骨は痛んでおらず、手をつける必要がなく温存されているらしい。つまり、味覚神経も無事ということだ。鼓膜も8割は保存できたようで、聴力の回復も期待できそうだ。とてもうれしい結果だった。

また、痛みが少ないもの助かった。前回の最初の手術では座薬を使ったりしたが、今回は比べ物にならないほど痛みが少ない。

麻酔が抜けきらない間は、意識もしっかりしているし話も聞き取れるが、動いたり眼を開いたり、しゃべったりすることがとてつもなくけだるく困難だった。一言はなそうと思うと、とてつもない努力が必要だった。そうなるとうとうとまどろむしかなかった。

手術は2時間ほどで5時前には病室に戻ってきたはずだ。やはりのどが痛むので、うがいがしたかった。うがいをさせてもらうと楽になった。そのご水分を取れるようになり、水を飲めたときはうれしかった。

少し困ったのは、麻酔の影響か、小用が足せなくなっていたことだった。尿意があるのに出ないのだった。最初は尿瓶をもらって用を足そうとしたがどうしても出なかった。そのあと、歩いてもいいということになり、トイレに連れて行ってもらったが、それでも出なかった。出し方がまったくわからないのだ。膀胱は張っているし、尿意もあるのに、出せないのだ。男性用小便器にずっといても出ないので、洋式トイレの個室に閉じこもって長いこと座っていたら、少しだけ出た。よかった。

妻と両親は9時ごろ帰っていった。そのご、夕食を取置きしておいてくれていたので、11時ごろ食べる。たしかに味覚は残っていた。まだやわらかいものだけ、ということで、ゴマ豆腐、ゼリー、飲むヨーグルト、だった。面倒だったので歯も磨かず、そのまま寝た。寝られるほどたいした痛みではなかったので、本当に助かった。

05月03日(火) - 4日目

晴れ?

6時起床。のどが痛いのでうがいをして顔を洗って8時の朝食までまた休む。いまだ排尿困難。

朝食 ご飯、お汁、海苔、バナナ、牛乳

朝食後、トイレでやっと十分に排尿できるようになる。とてもほっとした。すっきりした気分。9時ごろ朝の点滴で抗生物質。妻がくる。

10時ごろ両親が顔を出す。その後処置。外の包帯交換。

12時に昼食 ご飯、カジキ照焼、アスパラ煮びたし、山菜蕎麦、シロナの辛し醤油和え、漬物

手術の結果も良かったので、両親は安心して帰路に就いた。

耳も喉も、痛みはほとんどない。うれしい。ただ、疲れなのか、すぐに眠くなる。うとうとし、多少本も読んだ。ちょっともみじ饅頭のおやつも食べた。

16時半から夕方の点滴で、また抗生物質。

18時 夕食 ご飯、とんかつ、付け合せキャベツ、吉野煮、小町和え、ふりかけ

寂しいが妻帰宅。疲れていそうなのでゆっくり休んでほしい。

「行儀よくしろ。」(清水義範)読了

05月04日(水) - 5日目

晴れ

6時半起床。7時までうとうとして、顔を洗う。8時の朝食まで雑誌を読む。昨日妻に自宅の枕を持ってきてもらったので、睡眠も読書もすこぶる快適になった。
昨夕の6時に夕食を取り、薬を飲んだ後、14時間も経過しているので、やや耳が痛む気がするが、そうは言ってもそんなにたいした痛みではない。余裕で我慢できる。

8時 朝食 ご飯、味噌汁(たまねぎ・三つ葉)、出し巻き卵、ジョア
メニューには佃煮とあったが、自分のお盆の上にはなかった。2回確認したが、確かになかった。しかし、細かいことだし、申し出なかった。

朝食後 薬を飲む。ところで薬の種類を書いておく
1日3回毎食後 ロキソニン錠60mg、アプレース錠100mg
1日2回朝夕食後 クラリス錠200mg

8時半検温。9時から朝の点滴約1時間。抗生物質の点滴は、そんなに量がないので、トイレに行きたくなったりはしないが、口中にだんだん苦味があふれてくるので苦手だ。

10時から耳鼻科処置。今日も若い(自分より若いと思う)森医師。ひげ面でなかなかユニークな人。そんな必要ないのに、包帯の巻き方のかっこよさ(男らしさ?と彼は言う)に、過度に気を使ってくれる。その後、午前中はずっと雑誌を読んだ。痛みはほとんど感じない。

12時 昼食 ご飯、つくね煮、もやしソテー、煎り豆腐、のっぺい汁、漬物(ピーマン漬け)

昼食食べ終わった直後に、妻が来てくれる。ひどく元気のない様子で、買ってきた焼きビーフンを食べていた。妻の落ち込みの原因はこの日記で、書き方と表現が良くなかったため、妻に要らぬしょんぼりを与えてしまった。悲しかった。ただでさえつらい思いをしている妻に、さらに負荷をかけてしまった。情けない思いでいっぱいだった。もう日記を書くのをやめようかと思った。でも、離れて暮らしている間の様子を少しでも伝えられたらいいと、思い直して、やはり日記は書くことにした。

思えば、手術が成功し、痛みもなく、入院生活にも慣れてきたので、慢心し、妻への配慮と労りが欠けていたと思う。1時間ほどそうしていろいろ考えていたら、義父母が見舞いに来てくれた。遠いところを来てもらって申し訳なかった。手土産のお菓子とお見舞いを頂いた。小一時間ほど話をして義父母は帰っていった。後でお見舞いを見てみるとかなり大層な金額だったので驚いた。経済状態が芳しくないうわさを妻から漏れ聞いて心配してくれたのかもしれない。その他、義父の快気祝いも頂いた。

妻が愛猫の写真入カレンダーを作って持ってきてくれた。日にちや曜日の感覚がなくなりかけていたのでこれは便利だ。何より愛猫のアップ画像が良かった。貼る場所を考えたが、後々窓際のベッドへ引越しを狙っていることもあり、壁などを避けて無難にノートPCに貼り付けた。

早速もらった見舞いの箱を開けておやつを食べた。コーヒーも飲んでみた。久しぶりだ。パジャマと下着を替えた。

15時検温。ミニトマトの植え替えがあるため、妻は今日は早めに帰っていった。

16時半 点滴。抗生物質。装着している点滴のチューブを短くした。

17時半頃、屋上に出てみた。屋上には誰もいなかった。気持ちよく晴れた夕日が見えた。部屋の真ん中のベッドということもあり、外の景色を見るのも、外の空気を吸うのも久しぶりだった。すがすがしかった。前回の手術のときは痛みでかなり寝たきりだったこともあり、足腰が、えっと思うぐらい鈍ったが、今回は、痛みもなくうろうろしているので、まだそんなに鈍っていない。階段であがったのだが、ちょっと体が重い感じがした。スクワットでもしようと思ったがやめておいた。後で病室に戻ったとき、結構体力消耗した感じがしたし、若干痛みも増したように感じたので、運動は止めておいて正解だった。30分ほど金網越しに外の世界を眺めていたが、幸福感と寂寥感と焦燥感の混じった微妙な感情が湧いた。妻と海辺の公園へ行きたいな、と思った。屋上をあちこち見回ってみた。灰皿とベンチが無くなった以外は、4年前と変わっていなかった。念のため電源施設の確認をした。

18時 夕食 ご飯、プレーンオムレツ、ほうれん草ソテー、大豆サラダ、白菜スープ煮、オレンジ2切、福神漬け

20時 メールチェックと電話。

22時 消灯。あまり眠くなかったが、1時間ほどで眠れた。はす向かいの爺さんが、連日深夜までテレビを見ていて天井がちかちか明滅する。気になる人にはすごく気になるだろう。

「王家の紋章18巻」読了
「月刊ASCII4月号」読了
「月刊ASCII5月号」読了
「Java Press Vol.40」読了

05月05日(木) - 6日目

晴れ

5時ごろ痛みと早寝が効いて眼が覚める。が、6時半まで寝直す。8時の朝食まで読書。

8時 朝食 ご飯、麩と三つ葉の味噌汁、高野煮、海苔、牛乳、桃2切れ
朝食後メール取り込み。休診日のためがらんとしている。

8時半検温 9時 点滴

11時ごろ妻が来てくれる。今日はお昼を一緒に食べる約束だったのだ。

主治医の久保先生の処置は遅れて11時半ごろから。手術4日目にして内部ガーゼを取り始める。前回はもっと遅く、7日目からだったはず。熱が出ていないなど、経過が順調なせいだろうか。早期退院につながればうれしい。
しかし、心理的にはプレッシャーでもある。前回の日記でも書いたが、中に詰め込んだガーゼを取るのは、とにかく痛いのだ。正直に言うと、痛いといっても、絶えられないほどめちゃめちゃ痛い訳ではない。動かず、声も立てずに何とか我慢できるほどだ。だが、自分の顔のすぐ横で、しかも見えないところで、手術の影響で感覚が半分麻痺した耳の中に襲ってくる痛みは、また格別なものだ。今日はまだなかったが、ひどいめまいを伴うこともある。ちなみに、人体で最も痛みに敏感なのは骨膜だ。骨折がかなり痛いのは、骨が痛いのではなく、折れた骨で骨膜が刺激を受けるからだ。骨膜の痛さをじっくり体験したい人は、皮下組織の薄い向う脛などを強打してみると良くわかるだろう。古来弁慶でも泣くほど痛いと云われる所以である。そして、外耳道というのは、まさにその骨膜でできているのだ。
また、久保先生は、ガーゼをはがすのも、綿球を詰め込むのも、かなり思い切りが良いほうだ。絆創膏がばりっとはがれてひりひりする。しかし、上記の痛みには比べるべくもない。

先生からは手術の内容と結果を説明された。すでに半覚醒で聞いて、さらに妻からも聞いていた内容だった。またホルマリン漬けにした真珠腫も見せてもらった。2.5×2.5cm程度の根っこのある珊瑚のような物体だった。前回より小さいと思った。真珠腫の手術としては中程度の大きさらしい。
運が良かったことに、こいつが鼓膜・耳小骨・鼓策神経のある内耳方面へ育っていかず、上鼓室方面へ伸びて行ってくれたため、術後の影響を最小限に抑えることができたのだ。

処置から帰って30分ほどは、痛さに耐えてぐったりしていた。

12時 昼食 ご飯、ふりかけ、麻婆豆腐、中華風サラダ胡麻マヨ、焼きビーフン
すっかり忘れていたのだが、今日はこどもの日だったので、こどもの日カードがついていた。用途は良く分からない。また、来週のメニュー選択用紙が配られた。

驚いたことに、木曜と金曜は、メインディッシュが2種類から選べるのだ。ちなみに、木曜は、鶏のカピタorプレーンオムレツ、金曜は、炊き合わせorイカの味噌ステーキ。もちろん前回入院時はこんな仕組みはなかった。入院の食事環境はますます向上したといえよう。生野菜が出ないなど、病院食での制限はあるものの、その内容もレベルも学校給食や一般の企業給食にまったく引けを取らない(というか、そうした企業が請け負っているのかもしれない)。前回から、食事については、味・メニュー・量ともまったく不満はないと断言しよう。病院の食事が不味いと言うのは、すくなくともここには当てはまらない。
しかし、当然、個人差がある。前回の同室の人でも、確かに食事に文句を言っている人はいた。偏食の多い人や味の濃いファストフードやインスタント食を好む人、アルコールの好きな人などは文句が出るかもしれない。

食後薬を飲んでしばらく休んだら痛みが消えたので、妻と病院内を探検した。明日から雨がちというし、屋上でしばらくのんびりした。手術の日、談話室で待っている間に、知らんおじいさんに話しかけられ続けて往生した話を聞いた。大変だったね。その後、地階へ行き食堂と売店を見た(今日は休みだが)。小一時間ほどうろついたら結構ばてたので、ベッドへ戻って少しうとうとした。その後は、話しをしたり本を読んだりしてすごした。コーヒーとおやつ。

15時検温。その後妻は洗濯をするために早めに帰っていった。

16時半から点滴。チューブに空気があって、ちょっと痛い気がした。かなりピッチ速めだったので30分ほどで終わった。その後読書。

17時半から再度屋上へ行って目を休めた。すがすがしかったが、風が強くやや寒かった。明日の朝は冷えそうだ。

18時 夕食 ひじきご飯、おでん(大根・ジャガイモ・厚揚げ・ごぼ天・こんにゃく・卵)、赤キャベツの香り和え。茄子の胡麻味噌かけ、こどもの日デザート(柏餅)

20時メールチェックと電話。

夕食後、PC作業をしていたら、キーボード入力で腕の筋肉が動くためか、固定の点滴口に違和感を感じて、ちょっと血がもれてきていた。腕をずらすとなんともなくなるので、気にならないような位置にして寝た。22時消灯。

「Java Press Vol.41」読み始める
「デザインルール モジュール化パワー」(C・ボールドウィン)読む
「日経サイエンス10月号」読了

05月06日(金) - 7日目

今日は6時半になり病室がざわざわはじめるまでぐっすり寝ていた。顔を洗い、8時の朝食まで読書。

8時半検温 9時 点滴。ちょっと痛い気がした。看護師さんがはずす?ときいてくれたけど、面倒そうだったので、遠慮した。

10時過ぎに処置。昨日の記述を撤回したい。めちゃめちゃ痛かった。さらに奥の方のガーゼを取り出した。メキメキバリバリだった。痛みで目にうっすら涙がにじんだ。

あまりの痛さか、30分たってもなかなか引いていかなかった。

看護師さんに体を清拭してもらう。本当は、今日はボイラーの調整をしている関係でお湯が出ないらしい(同室の人が予約してた入浴がキャンセルになって残念がっていた)が、裏わざとして、電気給茶機のお湯を使ったのだった。入浴は手術の日以来だったのですっきりした。しかし、今日は雨で結構蒸し暑い日だったので、すぐに汗ばんでしまったが。

なかなか痛みが引かないので詰め所に痛み止めをもらいに行ったら、昼食の薬を早めに飲んでおけと言われたので飲んだところ、痛みが治まったので助かった。

今日は15時の検温までじっくりPC作業を行ったら結構汗ばんでしまった。薬剤の担当者が薬の説明に来る。点滴は明日まで、投薬も今もっているのを飲みきったら終わりの予定だそうだ。もちろん痛みがあったりすればまた出します、とのこと。

16時ごろ妻が来てくれる。雨なので荷物もあるし大変だ。

16時半点滴。点滴後、妻の薦めもあり、違和感を感じていた固定の点滴口をはずしてもらった。腕に余分なものが無くなってすっきり。

パジャマを着替えて、院内を歩き回って運動。

18時 夕食 ご飯、ふりかけ、アジフライ(ソース)、中華風膾、白菜と厚揚げの煮びたし、オレンジ2切れ

妻帰宅。雨だし荷物も多いので、気をつけないと。

20時 電話とメールチェック。ブログもいくつか書いてみた。妻と明日の図書館と粗大ごみについて確認。朝こっちから念のため電話をすることにした。

ノートPCをLinuxとダブルブートにしてきたので、いろいろ設定をいじる。

22時消灯。今日は日中寝ていないはずなのに、なぜか寝付けず1,2時間まんじりとした。また、夜中に何度も目が覚めてしまった。

「Java Press Vol.41」読む
「デザインルール モジュール化パワー」(C・ボールドウィン)読了
「日経サイエンス11月号」読了

05月07日(土) - 8日目

雨後晴れ

目覚めたりうとうとしたりを繰り返しているうちに6時になる。看護師さんが、お宅から電話ですと起こしに来るのでびっくりして飛び起きる。詰め所で電話を取ると、泣きじゃくる妻。妻の実家で可愛がっていた愛猫ちゃりが、今朝亡くなったと義母からついさっき電話があったらしい。この子は妻が拾ってきた子で、結婚して実家を出るまで、妻がずっと世話をしており、ずっと可愛がっていた猫なのだ。確かにシニアだったが、つい数日前にも元気そうにしている話を聞いていたばかりだったので信じられない。涙声で妻が言うには、これからすぐ実家に向かうから、今日は病院へこれないし、図書館にもいけない、という連絡だった。こっちは気にしなくて良いから道中気を付けてすぐ行っておやりと話す。いったん電話を切って、公衆電話からかけなおし、雑用をこっちで片付けておくためにいろいろ電話番号を聞いた。

ぼんやりして道中事故にあわないようにと妻を励まそうとしたが、口を開くと涙声になるのでつらかった。

病室に戻っても、信じられなくてぼんやりしていた。正月に実家に行ったときには元気そうにしていた。体調が悪いなんて話もぜんぜんなかったし、あまりに急だ。キッチンで倒れていたと聞いたので苦しくなかったろうかと胸が痛んだ。いろいろ思い出したりしてぼんやりしていた。

8時朝食 ご飯、大根と三つ葉の味噌汁、出汁巻き、牛乳、オレンジ

8時半検温。9時点滴。昨日固定の点滴口を抜いてしまったので、張り出さす方式。看護師さんが二人来て、どうらら新人さんの練習らしい。たどたどしかったがうまくいってよかった。4年前はそんなこと無かったが、点滴時に感染予防か、ちゃんとわざわざゴム手袋をしていた。針の点滴は、やっている間腕を動かせないのでちょっとつらい。点滴はハイピッチで20分ほどで終わる。

雑用を片付けるためにあちこち電話。自宅にもかけてみたが、留守。妻はもう実家に着いたかな。

固定の点滴口もなくなったので、今日入浴することになった。処置後11時ぐらいからとのこと。その後、伝言で処置は午後からになるとのこと。

なんか何も手に付かずやる気にならないので、愛猫ちゃりのことを考えたり、ぱらぱら雑誌をめくったりしてすごしたが、元気が出ないのでそのうち寝てしまった。

11時入浴。耳がぬれないように気をつけて、首から下を石鹸で粗い、シャワー。下着も替えてすごくすっきりした。

12時昼食 ご飯、海苔佃煮、ナスとねぎの味噌汁、南京そぼろ煮、小松菜の煮付け、赤魚と大根の煮付け

食後薬は、処置後の痛みに備えて飲まずに取って置いた。

今日は元気でないし、もうすぐ処置の痛みがあると思うとすごく嫌な気分になるし、さらにそれが今か今かと待っているのも落ち着かない。珍しく昼からも寝てすごした。

土曜だからか13時半から検温。放送で目覚める。その後、雑誌をめくって過ごし、15時から処置。覚悟を決めて処置室へ行く。表面のガーゼを少し取っていると、ちょっと出血がある、ということで、今日はガーゼ取りを深追いしないことにしたらしい。ほっとする。明日は日曜なので、主治医は来ないから、宿直の医師に、表のガーゼと包帯の交換だけやってもらえと言われる。ただの先延ばしに過ぎないが、明日も痛くないかと思うと安心せずにはいられない。

事務の人が来て、4月分の請求書と、5月分医療費の高額医療費補助の申請書を持ってきてくれた。前回は国保でなかったためか、高額医療費の書類は自分で調べて用意した覚えがある。とても親切だと思った。

病室に戻り、薬を飲んで、公衆電話で妻の実家に電話。妻は割合しっかりしてるようでほっとした。かえって自分のほうが涙声になってしまってだめだった。義妹夫婦も四国から駆けつけてきているとのこと。愛猫ちゃりは最期までみんなに大事にされた猫だったと思った。可哀想だったけど、せめてこうしてみんなになでてもらっているから、よかったな、と言ってあげた。でも入院で駆けつけられないので、許してな、と。そして、妻に自分の分も託しておいた。

戻ると16時から夕方の点滴。毎回針を刺すのは、やはりちょっと嫌な気分。しかしこれが最期の点滴だと思うと少し気が軽くなる。調べてみると、4年前の手術に比べ、やはり経過が軽い様子。まえはもっとずっと長い間点滴をしていた。この調子で今後の処置の痛みも少ないことを願う。

同室の両サイドの患者さんに、それぞれ担当看護師が手術の説明に来ていた。どちらも月曜手術だったのだ。その後、向かいの人も手術らしいと判明。

携帯電話を充電。

いつの間にか晴れていたので、17時から屋上に出て、いろいろ思い出したりして、ちゃりを弔おうとした。

18時夕食 ご飯、ミートローフ、付け合せキャベツ、ペイザン煮、ハム入り茹で野菜サラダ、福神漬け。マヨネーズとソースが付いていた。どれに掛けることを想定しているのか分からなかったので、適当に両方かけてみた。

20時 携帯の留守電に約束した妻のメッセージが入っていたので、自宅に電話。遅くなるとのことでまだ帰宅していなかったから、留守電にメッセージを入れておいた。明日の朝、電話する予定。

22時消灯。いろいろ考えがちだが、意外にも早めに寝付けた。

「Java Press Vol.41」読了
「日経サイエンス12月号」読了
「子供の科学12月号」読了
「子供の科学1月号」読了


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